アニメーションに求めるもの
兄妹でそれぞれ好きな事を話しているだけなのに、それを見ている親がそれぞれ考えを押し付けあってる様に見てしまうのは、その世代のコミュニケーションが自由じゃないからなのかなとこちらから見ると思う。
ある意味では責任を果たしていないと見えるのだろうな。アニメーションには責任を求めるけど自分自身には修行的な、自分自身に対する責任ばかりで共同体を形作る責任を果たしていない。その通りである。自分はある面では田舎を出てしまって責任を放棄してしまった立場なので何も言えない。
帰る場所があるというのはそういう責任を果たしている人々あってこそ。
ティーンばかり持てはやされて責任を果たしているオヤジ連中が蔑ろにされているアニメーションは悲しい。そういう意味で凪のあすからとは素晴らしい。
@fluorspar この辺りが自分のコアな部分ですね。アニメーションに要求しているのはこの辺り。そのためにマジョリティとはとかけ離れてしまっているのだと思う。
自分自身を許せないのと同じくらい、不誠実に見える作品が許せないのだろうと。分別が無いとも言える。
@termin たーみんと話をする度に、その視点が理解できるようになってきて、その分だけ同じようにつらくなる病気というのにかかりつつある。
2014-01-01 22:37:52 via TweetDeck to @termin
@fluorspar つらくなるというのは?
@fluorspar 確かに生活環境と生い立ちの歪みからくるものなのである意味病と言える。
2014-01-01 22:40:30 via YoruFukurou to @fluorspar
@termin その作品に足りないものが分かるようになってくる感じ。
2014-01-01 22:40:45 via TweetDeck to @termin
@fluorspar そういうのが気になるのは善し悪しで、無条件に楽しめる人が羨ましくもありますな。
2014-01-01 22:41:47 via YoruFukurou to @fluorspar
@termin あまり言語化せずに無条件に楽しんでることが多い。アニメも、音楽も。
2014-01-01 22:42:30 via TweetDeck to @termin