"身体性"とは

「身体性をとりもどせ〜」みたいな出たら放題発言しようとしたら、そういや"身体性"って具体的にどういうことかなー、と思ったので一瞬ぼやーっと考えてみた。
*個人の感想です


「身体性がある」とは「五感から得られる情報と、欲望や想像, 妄想などのマッピングが出来ている」若しくはそれをし易い物事の事を言うのだと自分はイメージしているらしい。


例えば「目の前にある水の入ったコップを持ち上げたい」という欲望, イメージを実現するには身体性が無いと難しいか無理かもしれない。
手足だけでなく眼についても、例えば警告時に赤や黄色だったり強い光だったりを使うのは身体性に強く依っていると思う。
ケータイやテレビの操作よりは自転車を漕ぐ方が原始的で身体性を得やすそう。
iPhone/iPadガラケーよりかはずっと身体性を得やすそう。ただボタンが無いのは身体性が得難くなる方向で殆ど歩留まり向上の面しか良い影響無さそう。
Androidのボタン無くなってく問題もある。昔ジョグダイヤルとかあったよなー。
iPhoneといえば、増井さんが「生活から捻る動作が失われている」と言う様な事を電脳空間カウボーイズ辺りで言っていたと思う。テレビの音量やチャンネルの操作、電子レンジの時間設定など、つまみがどんどんボタンに置き換わっていると。車のエアコンやオーディオ機器なども同様。これも歩留まりとか製造コストで有利だからなんだと思う。高所得者向けにはボタン以外の、ちゃんと機能に適した部品を使った製品があれば良いと思うけど、モバイル製品についてはコスト以外にもサイズやポータビリティーの問題があるからどうしようも無い所がつらい。ソフトウェアとの兼ね合いはもっと辛くてこっちはコストだけでなく保守性が関わるので確かに難しいんだろうなぁ。。保守性ってのもハードウェアと違ってコストかければ良くなる訳じゃ無いし。
こう考えるとやっぱりユーザビリティ設計と(オレオレである所の)身体性ってのはやっぱり切り離せないよなぁ(UI設計の知識とかまるで無いが)。

気づいたらだいぶ話が偏ってしまった。。


ちょっと同じ流れで続けてみると、最初に「身体性を得やすい」とか「得難い」とか書いたけど、例えばコンピュータのキーボードなんかは使った事が無い人にとっては身体性も何もあったもんじゃない。使っていく内にマッピングが出来て結果その人はその行為を行う上での身体性を獲得出来たと言えるのだと思う。対して音声認識というのは会話に基づくから肉体言語である所の拳よりかは得難いかもしれないけど、少なくともキーボードに比べればそのまま話せば良い訳だから殆ど身体性を獲得してあると言っても良い。ただ、やっぱり恥ずかしいし声が出せない人にとっては口以上の文字入力ツールだしVim/Vimp楽しいしキーボードは素晴らしいな!


だいぶ、こんなの書かなくてもみんなそう思ってるだろな話になってきたのでここで終わりにする。書きたかったのは最初の1行。
こういうのは恐らくトランスセクシュアル(因みに単語の使い方があってるかすら怪しい理解の程度です)などの方々の話を読めばもっと理解が進む、或いはこのオレオレ定義がトンチンカンなのが分かるのかな。

余計な話を書かずにもっとこのオレオレ定義が妥当かどうかについて考えたり、もっと色んなワードを交えたり出来たら良かったけどBlogエントリとしての体裁を整える為に夢中になってしまって時間を無駄にしか感じがする。バーチャル(=本質の抽出), 抽象化と身体性の関係とかがすぐにまとまらないので誰かとお話ししたい。


最後に、何ページか読んだのでリンクを置いておく。
失われた身体性を求めて - elm200 のノマドで行こう!
これ見て思い出した文章を引用しただけのBlogエントリを書いたのでついでに置いておく。
「計算しか出来ない計算機なんてゴミですよ」 - 健康的に不健康になりたい


身体性について - 世界線航跡蔵
pooneilの脳科学論文コメント: 「身体性」ってなんすか?